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先日連載している「東京団地ミステリー」でかもめ団地について書いた。かもめ団地とは横須賀市の浦賀にある、海岸に建っている団地。上の写真がそれだ。夏だからといって海に行くでもない生き様をしているぼくだが、団地なれば話は別だ。かもめ団地は団地マニアと海とをつなぐ立役者。黒船である。


↑航空写真で見るとこんな(大きな地図で見る


このすばらしい立地のかもめ団地は当然映像作品にも登場する。例えばGOING UNDER GROUNDというグループの『初恋』という曲のPVがそれだ。

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↑その『初恋』のワンシーン後ろに見えるのがかもめ団地

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↑同じ場所で記念撮影しました。

というような話を東京団地ミステリーで書いたわけです。で、他にかもめ団地が登場する作品はないかと探したところ@kurofune3さんから貴重な情報が。

さっそく『あの夏、いちばん静かな海。』を観ました。

この映画は聾唖の青年とその恋人の物語で、主人公がサーフィンに目覚めるところから話が始まる。当然海ばかりが出てくる。ならばかもめ団地も海とセットでだよな!と期待したんだけど、主人公が住んでいる場所として冒頭にちょっと出てくるだけだった。

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↑主人公が住んでいるかもめ団地の高層棟。かっこいい。

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↑この棟ね。これはすてきだよねえ。さすが北野武!(大きな画像はこちら

すぐ背後にある海はほとんど映っていない。あたらせっかくのかもめ団地をもったない。たぶん浦賀近辺で撮影する都合上近くの団地を選んだらここになった、ということなんだろう。

というように、この映画ではやや消化不良の感があるかもめ団地ロケ。あ、でもこの作品、ぼくのようなサーフィン文化から最も遠いところにいる人間でもぐっときたのは、登場する海がぜんぶコンクリートの護岸やテトラポッドが並ぶ海岸線であること。いわゆる青春サーフィン物語を微塵も感じさせない場所選びがすばらしい。


■埋め立て地タイムスリップもの

ほかにかもめ団地登場する作品はないのかと探したところ『かもめ団地のむこうがわ 』という児童文学を見つけた。

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↑もちろんすぐさま買いました

作者の国松俊英さんは『かもめ団地の三振王』というタイトルの本も出している。もしかしてかもめ団地にゆかりのある人か!?と思ったんだけど違った。結論から言うと、この話の中の「かもめ団地」は架空の団地で、上記浦賀の団地のことではない。残念。でもこの『かもめ団地のむこうがわ 』はすごくいい話だった。以下に書くように、これは「埋め立て地タイムスリップもの」とでも名付けたいプロットで、かの名作『トムは真夜中の庭で』を思い起こさせる感動があった。どうせ児童文学でしょと侮っていた。すまん。ただ残念なことに絶版のようで、本稿執筆現在で上記リンク先アマゾンでは中古品が1点出品されているだけ。

浦賀ではなかったものの、この「かもめ団地」のモデルを調べたら千葉県船橋育ちのぼくにゆかりのある土地であることが分かって、ふたたび感動。以下にその顛末を書こう。

モデルの団地を探すのはそんなに難しくない。話の中にけっこう事細かに場所の手がかりが書かれている。

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↑「袖ヶ浦海岸」「谷津遊園」という地名が出てくる。

主人公は小学4年生。この作品は毎日小学生新聞1983年に連載されたものが元になっているという。この年を物語の中の年とすると、彼は1973年生まれか。1972年生まれのぼくとほぼ同い年だ。その同世代の彼が1958年にタイムスリップして、そこで「ここはどこか」と尋ねた質問に対する答えが上のセリフだ。ポイントは時間は移動したが、場所は移動していないという点。つまり、現在(1983年)と過去の風景の描写をみていけば「かもめ団地」がどこか分かる。

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↑現在(といっても1983年)学校がある場所が浜だった、という描写。


ともあれ「袖ヶ浦」という地名が出てきて「団地」とくれば、船橋・習志野周辺の人間(および団地好き)ならすぐに「袖ヶ浦団地」を連想するだろう。京成津田沼駅から海に向かって1kmほど。


ここが袖ヶ浦団地(大きな地図で表示

ご覧の通りいまは海など見えないが、かつてここは海岸だった。上の航空写真で西側に打ってあるピンは「谷津干潟」。こでもかつては海面だった。この現在の谷津干潟に面していたのが「谷津遊園」だ。

さて、ここで手元に一冊の素晴らしい写真集がある。空撮を得意とする写真家・沢本吉則さんの『ざ・京葉ベイエリア―その変貌録』という本だ。


■「京葉ベイエリア」楽しい!

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↑千葉っ子なら興奮すること間違いなしの一冊。これも絶版らしく現時点でアマゾンでは中古品が5冊あるのみ

激変する千葉の東京湾岸を半世紀にわたり撮りためた貴重な記録だ。たとえば京葉道路ができつつある時代のこの空撮とかすごい↓

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↑上は1963年、下は1965年だそうだ。

京葉ベイエリアの歴史って言ったらもちろん工場が主役でして、それもばっちり空撮されてます。

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↑これは2000年代だそう。市原の工場だね。

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↑これもすごく貴重な写真!いまはなき川崎製鉄(現JFE)の1号、2号高炉の現役の姿だ!1962年とのこと。

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↑ちなみにこの高炉はぼくも撮ってるのだ!1998年頃。当時すでに廃虚だった(大きな画像はこちら


■袖ヶ浦西小学校が主人公の小学校ってことで結論

なんでこの写真集の話をしだしたかというと、ここに「谷津遊園の桟橋」が写っているからだ。

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↑1963年の谷津遊園。確かに桟橋がある。

谷津遊園とは京成電鉄が運営していた遊園地。1982年に閉園してしまった。ぼくは1回だけ行った記憶がある。現在の京成線「谷津駅」は「谷津遊園駅」という名前だった。ちなみに「津田沼」の「津」は谷津の「津」だ。(「田」は「久々田」、「沼」は「鷺沼」からとった)

まだ埋め立てが進行していない時代に、この谷津遊園の桟橋が見える「袖ヶ浦海岸」の浜に位置する小学校といったら、今の「袖ヶ浦西小学校」だろう。前出の航空写真で青いピンを打ったのがその小学校だ。

この小学校は1983年にもちゃんとここにあった。前出と同じ範囲の当時の航空写真を見てみよう。


↑ちゃんとあった(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT846/コース番号・C12/写真番号・4/撮影年月日・1984/12/03(昭59)に加筆)

タイムスリップ先の1958年はどうだろうか。


↑見事に海岸!(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・KT582YZ/コース番号・A25B/写真番号・8063/撮影年月日・1958/05/30(昭33)に加筆)

谷津遊園の桟橋も見える。周辺にはほかにもいくつか小学校があるが、場所は移動せずタイムスリップして溺れずにすむのはこの「袖ヶ浦西小学校」だけだ。ということで「かもめ団地」のモデルは袖ヶ浦西小学校のそばの袖ヶ浦団地だ、というのが結論。

こうやって地図や航空写真とにらめっこしながら気づいたことがひとつある。それは『かもめ団地のむこうがわ』のお話は「先生も親もかつては子どもだった」という変化を「自分たちの住む町はかつて海だった」という変化になぞらえているのだ。つまりタイトルの「むこうがわ」とは物理的な距離(つまり埋め立てによって遠くなった海)もさることながら時間的な彼岸を示している。そして時間がそうであるように、埋め立ても非可逆的だ。

それにしてもあらためて東京湾岸の埋め立ての変遷は面白い。特に千葉の埋め立てはすごい。これは「川だけ地図」を見て気がついたことだが、東京の河川は東京湾まで届いていない。どういうことかというと、東京の埋め立て地は「島」なので、島と元の陸地、島と島の間の水面は「川」と認識されていない。一方、千葉の埋め立て地は完全に「陸地をがーっと広げる」っていう形式なので、川が延長されているように見える。

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↑「川だけ地図」に海岸線を追加したもの。千葉マリンスタジアムの北西の浜田川なんて埋め立て地によって延長されて、流域が倍ぐらいになっているのではないか。

もう完全に浦賀の「かもめ団地」の話題からは脱線しているが、東京湾の埋め立て地がすっかりおもしろくなってしまって、さらに埋め立ての変遷を調べてみた。


↑「地理地殻活動研究センター」小荒井衛・中埜貴元『面積調でみる東京湾の埋め立ての変遷と埋立地の問題点』を元に作成

年代で見ると1965年〜73年頃に圧倒的に埋め立てられている。川崎と江東区の埋め立ての歴史が古い。東京が90年代以降にも羽田空港と中央防波堤でけっこう大きな面積を埋め立てているのが目立つ。千葉はある時期にがっと埋め立ててそれ以降はあまりやってない。

分かりやすいようにgifアニメも作ってみた。

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↑同じく「地理地殻活動研究センター」小荒井衛・中埜貴元『面積調でみる東京湾の埋め立ての変遷と埋立地の問題点』を元に作成

埋め立て地が面白くなっちゃってなんか話題が「むこうがわ」に飛びすぎてしまった。今後も埋め立てネタは追いかけていこうと思う。あと、浦賀のかもめ団地が登場している作品や、埋め立て地がテーマになっている作品をみつけたら教えてください。