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いままでありそうでなかった素晴らしい団地本が出た。これは楽しいぞ。

■『いえ 団地 まち——公団住宅 設計計画史』(住まい学大系103)
■木下庸子 植田 実 著/住まいの図書館出版局/2014年
本書には、UR都市機構で都市デザインチームのリーダーを務めた建築家である木下庸子さんが選んだ名団地55が紹介されている。出版社のページで見ていただきたいのだが、おもしろい選定だ。ご存じ団地界のキング高島平団地から、先日建て替えのために更地になった阿佐ヶ谷住宅は順当だ。大阪の住吉団地が取り上げられてるのはうれしい。だがなぜかぼくの実家そばの市川中山団地が登場しててびっくりした。いやぼくあの団地好きだけどふつう団地選ぶときにランクインしないよあれ。

このラインナップの不思議さこそがこの本の内容そのものなのだ。じつはこの本、団地のレイアウトを論じたものなのだ。これはすごい。これを読むと、団地とは棟ではなく、並び方なんだな!ということがよく分かる。そして実際に訪れてみたくなる。こんな本はいままでなかった。

われら「団地団」は規格だいすき!大量生産ばんざい!という趣味から団地を愛でていて「むしろ棟のデザインが同じなのがかっこいいんじゃないか!」と主張してきた。で、この本を読んで、そうかその標準化によって、それが建つ環境に対応する方に力を注げるようになったのだな、ということを実感。

「どれも同じ」「無個性」などといわれがちな団地だが、スケールを変えてレイアウトの観点から見ると、むしろ団地ほどひとつとして同じものはないものもない。考えてみれば「団地」という言葉の意味はまさに「団」であって、その定義からしてレイアウトのことをいっているのだ。
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↑蛇腹折り込みに同スケールで55の団地のレイアウト図が!これすごくいい!

以前URの方に赤羽台団地を案内してもらった際に、この本の最後の座談会に登場しておられるURリンケージの井関和朗さんに解説してもらったことがあるが、その時氏が語ることが、建築家の言葉ではなく都市計画家のそれであることに強い感銘を受けた。団地とは街なのだ。


■武蔵野緑町パークタウンのレイアウトの謎

取り上げられた団地一つ一つについて感想を書きたいところだが、そこはぐっとこらえて、ひとつだけ。武蔵野緑町パークタウンについて聞いてもらおう。

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↑建て替え前の航空写真が載ってた。面白いレイアウトだよね。

武蔵野緑町パークタウンは建て替え前は武蔵野緑町団地という名前だった。1991年から建て替えが始まって、完了したのは2003年。ぼくは建て変わる前に一度訪れたことがあったが、現在の団地がどんな風になっているのか見に行ったことがなかった。で、この本を読んでがぜん見に行かなきゃ!となったわけだ。なぜかというと特徴的な円弧のレイアウトが残されているとあったから。

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↑まるい団地内道路がそのまま残されたことを評価している。うん、たしかにいいよねこのまるいの。


↑現在の航空写真。赤い線がリング状の道路(大きな地図で表示

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↑武蔵野緑町団地として建設された1957年の同じ範囲の航空写真(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より)

以前建て替え前に訪れたときの印象はあいまいで(団地マニアとしてのぼくの専門(?)は10階建て以上の高層なので「ふーん、いい団地だねー」ぐらいにしか思わなかったのだと思う。不覚)、リング状のこの道路についても記憶がなかったが、いまこうして見ると確かに面白い。行こう。行かなきゃ。

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↑十数年ぶりに行ってみた。見事なカーブ。

で、行った。うん、たしかにリング状だ。すてきだ。でも、この道路が残された理由が「すてきだったから」というものだったとしても、じゃあそもそもなんで最初に建設されたときに円弧にしたのだろうか。やっぱり「すてきだから」だろうか?


■まさかの由来

これがもっと都心や地方ならば、川の流れの跡など地形由来の可能性が高いのだが、なんせここは武蔵野。まったいらだ。でもまあ一応、と思って地形図見てみたらこれがびっくり!


↑なんと円形に凹んでるじゃないですか!(国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル」をSimple DEM Viewerで表示したものをキャプチャ・加工)

なにこの不自然な凹み。どう見ても人の手によるものだよこれは。団地をこういう風にレイアウトしたときに掘った?いやまさか。そんなことする必要がない。

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↑言われてみれば団地の入り口は下り坂だった!

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↑ほら。

これなんだろう?と思って団地が建つ以前の航空写真を見たらこれがびっくりですよ!

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↑なんと!(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。1956年)

野球場!あの凹みはグラウンドだったのか。これは武蔵野グリーンパーク野球場というもので、1951年に完成したそうだ。グラウンド部分を堀り、その土を盛って観客席を土手状に作ったのだという。武蔵野緑町団地の円弧レイアウトは球場由来だったのだ。すごくおもしろい!

ちなみにこの武蔵野グリーンパーク野球場、ほとんど使われることがなかったのだという。そうだよね、オープンが51年なのに団地ができたのが6年後の1957年だもの。都心から遠かったのと、同時期に川崎球場や駒沢球場ができちゃったのと、武蔵野特有の土埃がひどかったせいだという。

そうだ、野球場なら!と友人の野球チケット博物館さんに聞いてみたところ、さすが!しっかりこの野球場での試合のチケットを持っていた。すごいな。

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野球チケット博物館さんより。土手っぷりがよくわかる。すばらしい。


■球場の前にも歴史が

前出の国土地理院「地図・空中写真閲覧サービスの写真を検索していて気がついたのは、戦後のこのエリアの航空写真がやたら充実していることだった。これはもしや、と思いつつ、さらに野球場ができる前のものを見てみると

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↑同範囲の1944年の写真(同じく「地図・空中写真閲覧サービス」より)

これ、なんなのかというと、零戦の大部分を作ったという中島飛行機というメーカーの武蔵製作所だ。地図・空中写真閲覧サービスにある戦後の写真の多くは米軍によって撮影されたものだ。なぜこのエリアの航空写真がやたら充実しているかというと、ここが軍需工場だったからだ。

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↑1949年(同じく「地図・空中写真閲覧サービス」より)

となると、当然爆撃を受ける。上の写真を見るとそのようすがまざまざと。都市空襲というサイトによれば「十数回の爆撃を受け爆弾五百発以上が命中し、200名以上の殉職者と500名以上の負傷者を出して、工場は全くの廃墟と化した」という。

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↑同「都市空襲」より。

中島飛行機はその後GHQによって解体させられ、技術者たちは自動車産業に流れその後の隆盛のきっかけになったという。なるほど。



団地のすてきな道路から思わぬところに話が及んだ。人間が作った地形でもこうしてその後の利用に影響を与え続けるというのは興味深い。なにより、球場の円弧を利用することではからずも魅力的な団地レイアウトができた、ということがとても面白い。

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↑団地内の公園で、子供たちが知ってか知らずか(知らないと思うけど)野球してた。