ここ数日、ビルの屋上について考えていた。なぜかというと "Portraits from Above: Hong Kong's Informal Rooftop Communities" という、香港のビルの屋上に建てられた違法建築についての本が邦訳されるにあたり、その解説とオビ文を依頼されたからだ。本の解説なんて初めて。光栄です。

原著をじっくりと読んだのだが、ほんとうにすてきな本で、日本版の発売が楽しみだ。おそらく今月中には本屋に並ぶと思うのでみなさんぜひ!(追記:ついに出版されました!→『九龍城を見たかった人たちへ贈る〜「香港ルーフトップ」がすばらしすぎる!〜』)この屋上家屋についてはCNNのニュースで話題になったのでご存じの方も多いと思う。どういうものなのか詳しくは発売を待って欲しい。ほんとお勧め。すでに今年のベスト本かもしれない。


■「昼休み屋上でバレー」の謎

で、日本の屋上についても考えたのだ。解説でも触れたのだが、日本の屋上家屋といえば「山岡士郎の家」だ。

↑ご存じ「美味しんぼ」の主人公山岡士郎が独身時代住んでいたのが、ビルの上に建てられた、おそらく違法の建築だ。21巻に上のように登場する。このことから「山岡士郎の家」と呼ばれることがある。

しかし日本のビルの屋上といえば家屋よりもバレーボールだ。と言ってももしかしたら20代ぐらいの方にはピンと来ないかもしれない。ぼくが子供の頃、ドラマや映画、テレビCMなどによく会社員が昼休みに屋上でバレーボールをやっている場面があったのだ。

あったのだ、っていってもそういう印象があるだけで、そういう作品がどれだけあるか、そして実際にサラリーマン達がそんなことをしていたのかは定かではない。いまのところ植木等主演の「ニッポン無責任時代」に屋上バレーのシーンがあることが分かった(@rakuda2010 さんが教えてくれました。ありがとうございます)。

5a8ae522

↑これがその場面。そうそう!こういう感じ!

ほかにも、「植田まさしの『かりあげクン』などに出てくるのでは」「サザエさんでそういう場面あるよね」というアドバイスをいただいた。もしほかの例をご存じの方がいたら教えて欲しい。

物語ではなく実際に屋上バレーをしていたのかどうかに関しても「10年ほど前、当時の職場の窓から近くの書店取次大手の社屋で屋上バレーボールをする人達を見ながらパン食べてました」という証言をいただいたりしている。こちらの「熊日写真ライブラリー」というサイトにも「昼休みのバレーボール」という写真がある↓演出入っているっぽいけど。



この写真は1954年撮影だそうだ。

で、この屋上バレー、最近はめっきり見かけなくなった。実際興じられているかどうかはともかく、少なくともドラマや映画で描かれていることはなくなった。なぜ消えたのか。というか、なんでバレーなのか。そもそもサラリーマンが、他愛ない遊びだとしてもバレーができる、というのが今となっては不思議だ。ぼくが最も不得意なスポーツだよバレー。学生時代本当に憂鬱だった。指使おうよ。ボール掴もうよ。なんのために人間は指を進化させてきたんだ。というかまあ、掴むかどうか関係なくスポーツ全般苦手だったんだが。



■屋上の使われ方の変遷

仮に屋上バレー文化がかつてほんとうにあったとして、なぜバレーなのか、という問題はひとまず置いておく。どちらかというと屋上の方が気になる。今回は屋上という場所の使われ方の変遷という観点から屋上バレーが消えた理由を考えてみよう。

国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で霞ヶ関あたりの昔の様子を見てみよう。

1979
(↑「地図・空中写真閲覧サービス」より1979年。キャプチャして加工)

赤いのがバレーコート・テニスコートあるいはなんらか運動のためとおぼしき屋上のスペース。ぼくが見た目でそう決めたものなので正確ではないですが。左上が国会議事堂で右上が日比谷公園だ。

予想したよりたくさんある。現在の農林水産省や国税庁、国立印刷局など官公庁の屋上が「屋上バレー」の舞台だ。そしてこれが2013年になると。

2013
(↑Googleマップより2013年。キャプチャして加工)

画面中央やや左、霞ヶ関ビルがあるブロック、文化庁、金融庁の屋上から「屋上バレー」が消えた。おわかりのようにビルが建て変わるとなくなるのだ。画面中央やや右、経産省総合庁舎別館からも消えている。

こうやってみると、思ったより数があり、かつけっこう残っている。ただ、消えたケースがどんなふうになっているかを見ていくと非常に興味深い。屋上バレーの代わりに増えているのは屋上庭園だ。

34
(↑Googleマップより2013年。キャプチャして加工)

国税庁、文化庁、金融庁、経産省総合庁舎別館周辺。屋上緑化がすごく多くなっている。おそらくこれら官公庁においては福利厚生の一環として昔から屋上が提供されていたのだと思うが、その要望内容が、バレーという運動の場から、庭園という憩いの場へ変化したということではないか。女性職員が増えた、とかそういうことも関連しているかもしれない。

そして植栽管理技術の進歩もあるだろう。昨今のヒートアイランド激しい都市の乾燥に耐え、少ない土でもなるべく手入れが必要とされない植物とそれを実現する環境技術って、たぶん最近できたものなんではないかと思う。


■バレーどころではなくなった

さて、もうひとつ興味深い別の用途にとって変わられるケースがあった。大手町から丸の内周辺を見てみよう。

1979
(↑「地図・空中写真閲覧サービス」より1979年。キャプチャして加工)

左が皇居、右下が東京駅。1979年だ。同様に赤いのが「屋上バレー」。これが2009年になるとこのとおり。

2009
(↑「地図・空中写真閲覧サービス」より2009年。キャプチャして加工)

かろうじてNTTの所だけ残っているが、これもそろそろなくなる。ここら辺一帯はいま再開発のまっ盛りだ。

この大手町から丸の内周辺はさっきの霞ヶ関エリアと違って企業のビルが多く、近年高層化が激しい。高層化によって「屋上バレー」は何になるかというと、ヘリポートだ。

丸の内2013ヘリポート
(↑Googleマップより2013年。キャプチャして加工)

ご覧の通り。調べたところ、1990年に「高層建築物等におけるヘリコプターの屋上緊急離着陸場等の設置の推進について」というものが消防庁によって通知され、2006年にはその具体的な内容として「緊急離着陸場等設置指導基準」が告示されている。高さ31メートル以上のビルにはヘリポート(正確には着陸できるものとホバリングできるものとある)の設置が望まれているとか。たぶん阪神大震災以降強化されたんだと思う。

ともあれ、ビルが高層化し災害対策の重要度が上がり、バレーどころではなくなったというわけだ。

ビルの高層化に関してはもう2点面白いと思ったことがある。



■バックヤード化する屋上

ひとつは、そもそも100mを越えるととても屋上で人が活動できる環境ではなくなるということだ。この高さになると風が強くて、ボールなんか打ち上げていられないし、寛ぐにもきつい。もはやビルの屋上は人外魔境になってしまった。飛行石のパワーをあやつるラピュタの技術が必要だ。

もうひとつは、ビル設備の発展による屋上のバックヤード化だ。これは同じ大手町から丸の内周辺の1963年の姿を見ると分かる。

1963
(↑「地図・空中写真閲覧サービス」より1963年。キャプチャして加工)

どうだこの屋上のすっきりぐあいは!びっくり。屋上を見下ろすことなど簡単にはできなかった時代のビルより、航空写真を手軽に見ることができる現代のビルの方が、屋上がごちゃごちゃだというのはなんとも皮肉だ。

バックヤード化したのはなぜかというと、ビルに空調が入るようになったせいだ。ビルの高層化を支えたのはエレベーターと空調技術だが、それによって屋上はユーティリティーになってしまったのだ。

これまで赤く塗りつぶした「屋上バレー」は、ネットが張られていたりするあきらかにコートであるものだけだが、前出の「ニッポン無責任時代」や「熊日写真ライブラリー」のように、実際の屋上バレーは何もないただの屋上で行われていたのだと思う。だとすると、今回示したより実際にはもっとたくさんの屋上バレー空間があったはずだ。1963年のこののっぺりした屋上を見ると、そりゃあこの広い平らな面をほっとく手はないよなあ、と思った。

まあそれにしてもバレーじゃなくてもいいのに、とぼくは思うけど。

あと、物語に出てくる屋上といえば、学校の屋上がある。それについてはまた別途。
 
【追記】
いろいろおもしろいご意見いただいております。ひとつはやっぱり自殺防止で屋上に上がれなくなった、という話。「沖雅也の京王プラザ自殺以降の屋上非開放の流れが大きいと思います」というさすがのやくさんのコメント。沖雅也か!この自殺と屋上、というのは最後に触れた学校の屋上のほうで調べようと思ってました。

あと、それがあったか!と思ったのは「社内分煙化の流れもあって、屋上は換気施設のいらない喫煙所になってしまっていますね」というコメント。そうか!これに関しては非常階段のイメージと使われ方なんかと合わせて考えるとおもしろいかも。