
以前「地面に書かれた「あっ!」を見に行った」という記事を書いた。大阪の南摂津の住宅街の路上に、落書きではなくちゃんと道路標識として「あっ!」と書いてあるのを知って見に行ったのだ。

↑こういうふうに地面に「あっ!」と。(場所はここ)
上の写真を見ていただくと何となくわかると思うけど、このあたりは細い道がぐねぐねと曲がっていて見通しが悪い。近くに学校もあることから、交通事故防止のためにトンチの効いた表示をしたのだろう。いかにも大阪っぽい(大阪への偏見)なあと思っていたところ、@kgj10amethyst さんに埼玉県にもあるよ、と教えていただいた。
あるんだ!と思って見に行ったら(場所はここ)、なんとなくなっていた。

↑ここに書いてあるはずだった…
と、ここまでが以前書いた記事の内容。今回はこの続きだ。
がっかりしていたら、この記事を読んだ方から「近くにまだあるよ!」という情報を頂いた↓
なんと!「なくなっていた」と嘆いたそのすぐそば、同じ戸田市内にまだあるというのだ!しかも複数!これまでの団地や工場鑑賞そのほか街をうろうろしていろいろなものを見てきて教訓を得ていたはずなのに。「一匹いたら十匹いると思え」と。そうなのだ。ちゃんと近くを探るべきだったのだ。反省。
で、改めて戸田に行ってきました。そしたらありましたよ!

↑あった!かなりかすれてるけど。

↑ここにも!

↑ここにも!これは地面掘り返した工事のために「!」の下がなくなってる。

↑まさに学校の門前。
と、こんな感じで計4箇所に現存してました。戸田すごい。(地図に「あ!」の位置をプロットしたものはこちら)
で、帰ってきて地図を見ていたら、戸田にこんなふうに「あ!」がある理由がわかった。それがとても面白かったので説明しよう。
まあもちろん、道が曲がりくねってて見通しが悪いから、なんだけど、問題はなぜ戸田のこのあたりは道が曲がっているんだろう?という理由が興味深いのだ。

↑上の写真最初のかすれた「あ!」のすぐ先はこんなふうな曲がり角。
道を歩いていて気がついたのは、最初に上の写真のように、曲がり角が直角でない場所がたくさんある点だ。
それを典型的に表しているのが、この交差点。これがすごーくおもしろい。

↑ご覧の通り、六差路の複雑な交差点がある。

↑ここがその交差点。六差路なのだが…

↑交差点名は「五差路」!
↑地図を見ても、このとおり道の数は6本だが、交差点名は「五差路」(大きな地図で表示)

↑近くにあった共食いキャラの店の名前も「ごさろ」
なんで六差路なのに五差路なのか、についてはこのページ→埼玉の街と道「『五差路』を造った戸田土地区画整理」に詳しいのでご覧ください。これ、戸田の都市計画の変遷が面白くまとめられていて、ちょうお勧めです。戸田のボートレース場がもともとオリンピックのために整備されたものとは知らなかった!
で、この「五差路」を代表とするような微妙な角度で交わっている道路の様子はこのあたりの地図を見るとよくわかる。
↑今回訪れたあたりの地図。南は荒川。川沿いは比較的碁盤の目状に整っているが、それに侵入してくるように東西から45度ずれた道が延びてきているのが印象的(大きな地図で見る
なんとなく練馬の氷川台あたりを彷彿とさせる45度っぷりだ。前出のページによればこのあたりは先駆的に都市計画を練っていたようなので、その結果かも知れない。が、その「おおもと」は地形図を合わせると見えてくる。

↑上の地図と同じ範囲の地形図(「東京地形地図」をGoogle Earthで表示したものをキャプチャ。以下地形図は同様)
このとおり、45度の斜めの道は、地形由来ではないかと思える。で、そもそもこのうっすらとした微地形はなにによっているのかというと、

↑より引いたスケールで見た同じ地形図。荒川にそって、いわゆる「0メートル地帯」が奥深くまで伸びている様子がよくわかる。
これをご覧頂くとわかるように、荒川が原因なのね。明治に作られた「迅速測図」と言われる古地図でこのあたりを見ると微地形の「おおもと」が荒川であることがよくわかる。

↑同じく同じ範囲の明治の様子。今と荒川の流れが全然違う!のたうちまわってる!(「歴史的農業環境閲覧システム」の画面をキャプチャ)
そうなのだ。荒川の下流部分って人為的にかなり大規模に整えられてて、ここ戸田周辺もダイナミックに流路が変わってる。微地形の「おおもと」はこの昔の流れが作ったものなわけだ。
つまりあの地面の「あ!」表示にかつての荒川の流れを思い重ねることができるというわけだ!すごい!すごいよね?あれ?けっこうぼく感動したんだけど?
こういう、無意識に行われている人間の身体レベルの営みが、実はより大きな系につながっている、っていうのにぼくは感動しがちだ、という話でしたー。
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↑あと@meto_u_tk さんに教えてもらって、福岡にも「あ!」があることがわかり、見てきました。これはまたダイナミックな!
@sohsai デイリーポータルの記事、拝見しました。 ここに「あ!」、あります。goo.gl/maps/tQNIu うまく貼れてなかったらすみません。戸田中学校の前です。
— なむりんご (@namuringo) February 15, 2013
@sohsai 遅くにすみません。デイリーポータルの記事読みました!戸田市のここにも「あ!」ありますよ。 goo.gl/maps/ChHfQ
— すけこま (@komakoma2000) February 17, 2013
なんと!「なくなっていた」と嘆いたそのすぐそば、同じ戸田市内にまだあるというのだ!しかも複数!これまでの団地や工場鑑賞そのほか街をうろうろしていろいろなものを見てきて教訓を得ていたはずなのに。「一匹いたら十匹いると思え」と。そうなのだ。ちゃんと近くを探るべきだったのだ。反省。
で、改めて戸田に行ってきました。そしたらありましたよ!

↑あった!かなりかすれてるけど。

↑ここにも!

↑ここにも!これは地面掘り返した工事のために「!」の下がなくなってる。

↑まさに学校の門前。
と、こんな感じで計4箇所に現存してました。戸田すごい。(地図に「あ!」の位置をプロットしたものはこちら)
で、帰ってきて地図を見ていたら、戸田にこんなふうに「あ!」がある理由がわかった。それがとても面白かったので説明しよう。
まあもちろん、道が曲がりくねってて見通しが悪いから、なんだけど、問題はなぜ戸田のこのあたりは道が曲がっているんだろう?という理由が興味深いのだ。

↑上の写真最初のかすれた「あ!」のすぐ先はこんなふうな曲がり角。
道を歩いていて気がついたのは、最初に上の写真のように、曲がり角が直角でない場所がたくさんある点だ。
それを典型的に表しているのが、この交差点。これがすごーくおもしろい。

↑ご覧の通り、六差路の複雑な交差点がある。

↑ここがその交差点。六差路なのだが…

↑交差点名は「五差路」!
↑地図を見ても、このとおり道の数は6本だが、交差点名は「五差路」(大きな地図で表示)

↑近くにあった共食いキャラの店の名前も「ごさろ」
なんで六差路なのに五差路なのか、についてはこのページ→埼玉の街と道「『五差路』を造った戸田土地区画整理」に詳しいのでご覧ください。これ、戸田の都市計画の変遷が面白くまとめられていて、ちょうお勧めです。戸田のボートレース場がもともとオリンピックのために整備されたものとは知らなかった!
で、この「五差路」を代表とするような微妙な角度で交わっている道路の様子はこのあたりの地図を見るとよくわかる。
↑今回訪れたあたりの地図。南は荒川。川沿いは比較的碁盤の目状に整っているが、それに侵入してくるように東西から45度ずれた道が延びてきているのが印象的(大きな地図で見る
なんとなく練馬の氷川台あたりを彷彿とさせる45度っぷりだ。前出のページによればこのあたりは先駆的に都市計画を練っていたようなので、その結果かも知れない。が、その「おおもと」は地形図を合わせると見えてくる。

↑上の地図と同じ範囲の地形図(「東京地形地図」をGoogle Earthで表示したものをキャプチャ。以下地形図は同様)
このとおり、45度の斜めの道は、地形由来ではないかと思える。で、そもそもこのうっすらとした微地形はなにによっているのかというと、

↑より引いたスケールで見た同じ地形図。荒川にそって、いわゆる「0メートル地帯」が奥深くまで伸びている様子がよくわかる。
これをご覧頂くとわかるように、荒川が原因なのね。明治に作られた「迅速測図」と言われる古地図でこのあたりを見ると微地形の「おおもと」が荒川であることがよくわかる。

↑同じく同じ範囲の明治の様子。今と荒川の流れが全然違う!のたうちまわってる!(「歴史的農業環境閲覧システム」の画面をキャプチャ)
そうなのだ。荒川の下流部分って人為的にかなり大規模に整えられてて、ここ戸田周辺もダイナミックに流路が変わってる。微地形の「おおもと」はこの昔の流れが作ったものなわけだ。
つまりあの地面の「あ!」表示にかつての荒川の流れを思い重ねることができるというわけだ!すごい!すごいよね?あれ?けっこうぼく感動したんだけど?
こういう、無意識に行われている人間の身体レベルの営みが、実はより大きな系につながっている、っていうのにぼくは感動しがちだ、という話でしたー。
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↑あと@meto_u_tk さんに教えてもらって、福岡にも「あ!」があることがわかり、見てきました。これはまたダイナミックな!